鹿島 房次郎(かじま ふさじろう、旧姓・田部、1868年11月5日(明治元年9月21日) - 1932年(昭和7年)7月29日)は、日本の実業家、政治家。神戸市会議員を経て第4代神戸市長(在任:1910年2月28日 - 1920年)。 自治体官僚主導による都市経営手法の源流を創った人物の一人とされ、その人格および手腕は、歴代神戸市長中の白眉と称される。族籍は兵庫県平民。 広島県比婆郡庄原村(現・庄原市)出身。裕福な農家、田部香蔵の弟。鹿島家に入り慶應義塾幼稚舎を経て、慶應義塾大学部理財科を卒業し、次いで東京高等商業学校(後の一橋大学)を矢野二郎排斥事件により中退、さらにアメリカ合衆国のミシガン大学に4年間留学した。
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