三田 幸夫(みた ゆきお、1900年3月31日 - 1991年2月11日)は、大正から昭和にかけての登山家。神奈川県横浜市出身。「山のガキ大将」という異名があった。 慶應義塾大学経済学部在籍中は山岳部に属し、槇有恒の指導の下、大島亮介と共に中心的なメンバーとなった。1923年1月、立山(雄山)へ槇有恒、板倉勝宣らとスキー登山を敢行するが、松尾峠にて遭難してしまう。三田は1人救援を求めて立山温泉への下山を強行するも、疲労によって幻影を見るほどであったとされ、結果的に板倉の死を看取った槇に温泉手前で追いつかれるという苦い経験をしている。 1924年の大学卒業後は実業界に入って、後に岩井産業シンガポール支店長や万邦産業取締役、三和興業常務などを歴任した。
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