連 震東(れん しんとう、1904年〈明治37年〉4月23日 - 1986年〈民国75年〉12月1日)は、中華民国の政治家。中国国民党所属で、第1期(中国語版)国民大会代表、台北県長、内政部長などを歴任した。日本統治下台湾の台南庁(現:台南市)出身の本省人。字は定一。歴史学者の連横(中国語版)は父で、中華民国副総統、中国国民党主席などを歴任した連戦は長男。 1904年(明治37年)、台南庁(現:台南市)で生まれる。板橋林家の林熊徵(中国語版)から資金援助を受けて内地の慶應義塾大学経済学部に進学し、1929年(昭和4年)に卒業した。台湾に戻ると昭和新報に入社した。 1931年(昭和6年)4月10日、父の連横が中国国民党・国民政府の元老であり旧友の張継に手紙を書き、連震東に対し「台湾を解放したければ、まず祖国を建設しなければならない。
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