伊藤 義平(いとう ぎへい、1855年11月16日(安政2年10月7日)- 1923年(大正12年)2月9日)は、明治から大正期の官吏、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・山崎。 伯耆国久米郡、のちの鳥取県東伯郡灘手村(現倉吉市)で、鳥取藩士・山崎左馬の四男として生れ、安政5年3月(1858年)伊藤弥平の養子となる。町医者・中原松斎の塾で漢学を修めた。 1874年(明治7年)豊岡県に奉職。以後、兵庫県属・会計事務、会計検査院、神奈川県収税署長、島根県税務署、東京府庁、衆議院事務局会計課などに勤務し、この間、東京法学院(英吉利法律学校前身、現中央大学)の夜学に通い1896年(明治29年)に卒業した。
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