飯守 重任(いいもり しげとう、1906年8月13日 - 1980年11月5日)は、日本の裁判官。最高裁判所長官を務めた田中耕太郎の弟。 佐賀県出身。1930年東京帝国大学独法科卒業後、裁判官生活に入る。 1930年代に満州国司法部に移り、審判官や司法部参事官を務め、治安立法や統制経済法の立法に関与した。戦後、中国から戦犯に問われ、撫順収容所で「熱河粛正工作に於いてのみでも、中国人民解放軍に協力した愛国人民を1700名も死刑に処し、約2600名の愛国人民を無期懲役その他の重刑に処している」と手記に書いたが、日本帰国後はこれを否定した。 戦後、シベリアや中国・撫順戦犯管理所に抑留されて、1956年8月に帰国し、東京地裁判事に復職した。
出典:ウィキペディア「飯守重任」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
