金杉 英五郎(かなすぎ えいごろう、慶応元年7月13日(1865年9月2日)- 昭和17年(1942年)1月26日)は、日本の医学者、政治家。衆議院議員、貴族院勅選議員。 下総国香取郡鏑木村(千葉県香取郡古城村字鏑木、干潟町を経て現旭市)の名主金杉与右衛門の子として生まれる。叔父で、内務省書記官を務めていた金杉恒の養子となる。東京帝国大学医科大学にて医学を学んだ後、ドイツへ留学。ヴュルツブルク大学、エアランゲン大学で学んだ。その後、1892年に、高木兼寛経営の東京病院(現、東京慈恵会医科大学附属病院)にて勤務をする傍ら、東京慈恵医院医学校(現、東京慈恵会医科大学)にて、講義を行う。後に、東京慈恵医院医学校が、大学令に基づき、大学に昇格した際、東京慈恵会医科大学の初代学長となった。
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