草鹿 甲子太郎(くさか きしたろう、1864年10月26日(元治元年9月26日) - 1927年(昭和2年)6月26日)は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)。 大聖寺藩士(藩医。禄高:150石)・草鹿泰仲の長男として、加賀国江沼郡大聖寺仲町(大聖寺町を経て、現加賀市大聖寺仲町)に生まれる。1898年(明治31年)家督を相続する。 1876年(明治9年)上京し、伯父で元富山始審裁判所検事正の草鹿換の家に寄寓する。翌年、東京外国語学校に入りフランス語を学び、三島中洲に師事し漢学を修めた。ほか、中江篤介の仏語塾にも入り、1882年(明治15年)7月、東京外国語学校仏語科を卒業する。卒業後、法学に目覚め、司法省法学校を経て、帝国大学に入り、1888年(明治21年)7月、同大法科大学法律学科仏蘭西部を卒業し法学士となった。
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