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久

久保孚

くぼ とおる
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久保 孚(くぼ とおる、1887年5月5日 - 1948年4月19日)は、日本の鉱山技術者(工学博士)、経営者。撫順炭鉱など満洲における鉱物資源採掘、経営に携わった。中華民国(国民政府)によって平頂山事件の責任を問われ銃殺刑に処されたが、日本では冤罪と考えられている。 1887年(明治20年)5月5日、父・義道と母・久米の長男として高知県土佐郡大川筋で生まれた。幼名は東洋士。1905年(明治38年)に高知県立第一中学校を卒業、第三高等学校を経て東京帝国大学に進学。1912年(明治45年)7月に同大学工科大学採鉱冶金学科を卒業すると、すぐに南満洲鉄道に就職、撫順炭鉱の鉱務課に勤務した。 順調に昇進を続け、1932年(昭和7年)には撫順炭鉱長に着任。

出典:ウィキペディア「久保孚」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋