熊田 鉄次郎(旧字体: 熊田 鐵次郎、くまた てつじろう、1864年〈元治元年〉 - 1907年〈明治40年〉5月28日)は、明治期の漢文学者、国文学者、教育者。立教学校(現・立教大学)教授や大阪陸軍地方幼年学校教授を務めたほか、各地の旧制中学で教えた。字は黒金、号は彬斉(ひんさい)。弟は二松学舎学長を務めた山田準/済斎。 1864年(元治元年)、備中松山藩士で山田方谷門の木村豊(藩校・有終館の会頭)の次男として生まれる。岡山県高梁市甲賀町(のちの柿木町)出身。兄は木村信行/水洞、弟は山田準/済斎(二松学舎専門学校初代校長・学長)。 14歳の時に、家老・熊田恰の一族・熊田矩光(大輔)の養子となる。
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