中島 吉三郎(なかじま きちさぶろう、1889年〈明治22年〉2月16日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1889年(明治22年)に群馬県群馬郡六郷村(現・高崎市)で生まれた。旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、陸軍士官学校第24期卒業。1938年(昭和13年)1月20日に歩兵第28連隊長に就任し、3月1日に陸軍歩兵大佐に進級した。1939年(昭和14年)に陸軍歩兵学校教導連隊長に転じた。 1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級し、第37歩兵団長(第1軍・第37師団)に就任し、日中戦争に出動。運城に駐屯し、警備・討伐戦に当たった。
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