塩月 学(學、しおつき まなぶ、1892年(明治25年)3月10日 - 1966年(昭和41年)12月17日)は、大正から昭和期の雑誌編集者、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡三重村(三重町を経て現豊後大野市)で、塩月古五郎の長男として生まれる。故郷や大分の呉服店に奉公後、19歳で上京。苦学して、第七高等学校造士館を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 安田保善社に入社し、その後、秘書課長に就任。政界入りを目指して安田保善社を退職し、第一出版社を経営し、日本青年社を創立し雑誌『青年日本』を発刊した。 1929年(昭和4年)東京市疑獄事件を受けて実施された東京市会議員選挙に出馬して最高点で当選。
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