瀧澤 眞弓(たきざわ まゆみ、1896年2月9日 - 1983年)は、日本の建築家・建築学者である。 1896年(明治29年)2月9日に誕生した。長野県東筑摩郡会田村の出身であり、旧姓を矢羽といったが、同郡五常村の滝澤家に嗣養子に入った。郷校を卒業したのち上京し、東京府立第三中学校、第一高等学校を経て帝国大学工学部建築科に進んだ。1920年(大正9年)に同校を卒業し、石本喜久治・堀口捨己・森田慶一・山田守・矢田茂とともに分離派建築会を結成した。建築家としてのはじめての作品は卒業制作である「山岳倶楽部」であり、この年の分離派第一回展覧会にて発表された。分離派は芸術作品としての建築を重視した団体であり、松原紀之・足立裕司・中江研によれば「抽象性」を重んじたことが形態理論における特徴であった。
出典:ウィキペディア「瀧澤眞弓」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
