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鳥潟右一

とりかた ういち
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鳥潟 右一(とりかた ういち、1883年4月25日 - 1923年6月6日)は、日本の工学者。明治から大正期の通信工学の権威である。無線電話機の発明に成功し、逓信省電気試験所長をつとめた。工学博士。 秋田県北秋田郡花岡村(現大館市)で酒造業を営む鳥潟平治の長男として生まれる。旧制第一高等学校を経て、1906年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。逓信省電気試験所に入所し、通信工学(特に無線通信)の研究に従事。当時、無線通信で主流であったコヒーラ検波器は通信距離が短いうえに安定しない問題があったが、1908年にタンタラム検波器を、1909年に鉱石検波器を発明し、飛躍的に無線通信機の性能を向上させた。

出典:ウィキペディア「鳥潟右一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋