中原 貞三郎(なかはら ていざぶろう、1859年2月16日(安政6年1月14日) - 1927年(昭和2年)12月4日)は、明治から大正時代の土木技術者、農商務技師、内務技師、統監府技師。 中原宗作の三男として周防国玖珂郡岩国領(現・山口県岩国市)にて生まれ、1891年(明治24年)7月、家督を継ぐ。1882年(明治15年)7月、旧東京大学理学部卒業。翌月、陸軍省御用掛となり参謀本部測量課に配属される。陸軍技師・陸軍部測量班長心得を経て、1886年(明治19年)陸軍5等技師に進み、1888年(明治21年)より帝国大学工科大学講師を兼任し、戦前の陸測地図の基礎を固めた。 1891年(明治24年)熊本県4等技師を経て、土木監督署技師となり、1898年(明治31年)1月、内務省第7区(熊本、4月より福岡に移転)土木監督署長を発令される。
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