穂積 八束(ほづみ やつか、1860年3月20日〈安政7年2月28日〉 - 1912年〈大正元年〉10月5日)は、日本の法学者。東京帝国大学法科大学長。貴族院議員。法典調査会査定委員。 伊予宇和島藩士の穂積家に生まれる。鈴木(穂積)重樹の三男。長兄の穂積重頴は第二十国立銀行頭取。東京帝国大学法学部教授、民法起草者の一人である穂積陳重は次兄。正三位勲一等。前妻は伊達宗城家令・西園寺公成の長女さと(早世)、後妻は浅野総一郎(初代)(浅野財閥創始者)の長女まつ。 明治22年から始まった民法典論争に際し発表した論文「民法出テゝ忠孝亡フ」(法学新報第5号、明治25年8月25日)で非常に有名だが、本文中に登場する文言ではなく、穂積陳重によると題名は江木衷の発案。
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