杉田 つる(すぎた つる、通称・鶴子、1882年(明治15年)12月6日 - 1957年(昭和32年)4月20日)は、兵庫県神戸市出身の小児科医、歌人。 第二次世界大戦後、国立東京第一病院二宮分院主任医を務めた。歌壇では、1920年(大正9年)「朝の光」創刊に参加し、窪田空穂、宇都野研に師事したのち「勁草」(けいそう)同人となった。 杉田玄白の5世孫に当たるが、鶴子は生涯未婚であったため、彼女が玄白の血筋を引く最後の医師になった。 杉田鶴子は、杉田玄白の4世孫で開業医だった杉田雄の一人娘として生まれた。1905年(明治38年)、大阪市の私立関西医学院に入学するが、翌年、彼女が14歳の時に父の雄が死去した。
出典:ウィキペディア「杉田つる」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
