浅野 陽吉(あさの ようきち、1868年3月26日(慶応4年3月3日 )- 1944年(昭和19年)2月12日)は、日本の教育者、実業家、政治家、郷土史研究家。衆議院議員、久留米商業学校長。号・是々。 筑後国三潴郡大隈村原古賀(福岡県久留米市原古賀町)で、浅野為三郎の長男として生まれる。福岡県立久留米中学校在学中に英語教師宮崎駿児の薫陶を受け、宮崎が退職して上京する際に中学を退学して同行した。1892年7月、東京高等商業学校を卒業。 『信濃日報』主筆、『九州日報』主筆を経て、福岡県嘉穂郡で幸袋工作所の設立に参画し、また、久留米で同志と久留米実業会を組織して、商工会議所の設立に尽力した。1899年11月、久留米市から強く要請され久留米商業学校校長に就任し、校風の刷新と、校勢の進展に尽力した。
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