田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9日 - 1995年(平成7年)4月17日)は日本の実業家。日本興業銀行副頭取や、富士重工業の社長や会長を務めた。 1942年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本興業銀行入行。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。北浦海軍航空隊に配属。名古屋監督官事務所に転じ、のち造兵監督官に就任し材料関係を担当した。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。戦後、GHQとの渉外に従事。 その後、日本興業銀行に復帰し、融資第三部長、調査本部長、常務、副頭取、顧問を歴任。
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