南条 新六郎(なんじょう しんろくろう、嘉永元年7月7日〈1848年8月5日〉 - 1920年〈大正9年〉10月7日)は、日本の実業家、名望家。第四十国立銀行頭取や、日本製粉社長を務めた。 上野国で館林藩家老の岡谷瑳磨介の第3子として生まれ、のちに同藩の南條源太左衛門の養子となる。御番頭支配中小姓、半隊司令士、歩卒隊長を経て1871年中尉に任命される。退官後、大蔵省銀行局の簿記学講習所(のちの高等商業学校(現一橋大学)附属主計学校)で学ぶ。同窓にのちにともに日本製粉設立に参画した旧館林藩士の笠原圓蔵がいた。 1878年に館林町で群馬県初の銀行である第四十国立銀行を設立し、1891年に頭取に就任した。
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