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川上操六

かわかみ そうろく
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川上 操六(かわかみ そうろく、1848年12月6日〈嘉永元年11月11日〉- 1899年〈明治32年〉5月11日)は、明治期の日本の陸軍軍人。旧薩摩藩臣。官位は参謀総長・陸軍大将。栄典は従二位・勲一等・功二級・子爵。桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる。 長男の素一は陸軍歩兵少佐、娘は小原伝陸軍中将に嫁ぐ。 薩摩国鹿児島郡鹿児島城外吉野村中ノ町にて、島津氏譜代の臣川上伝左衛門親徳の第3子として生まれる。幼名は宗之丞。母は肝付氏の五郎兵衛の娘のなか子。兄に藤七親綱、弟に茨城県警察部長となった親義がいる。その下の弟である丈一は西南の役で戦死した。川上氏は島津家一族で、その庶流であったが、数代前に家運が衰微したため、祖父の時に鹿児島城下より寒村の吉野村に移っていた。

出典:ウィキペディア「川上操六」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋