飯田 盛敏(いいだ もりとし、1870年7月30日〈明治3年7月3日〉 - 没年不明)は、明治から大正時代の政治家。官吏。三重県四日市市長。旧名は熊蔵。 東京市深川区東大工町にて士族の飯田盛孝の三男として生まれる。1904年(明治37年)5月、旧名を改める。法学を志し、東京仏学校、暁星学校、和仏法律学校で仏語や法律、経済学を修め、法学博士梅謙次郎の知遇を得、1900年(明治33年)司法省仏文翻訳係となり、大臣官房兼参事官室勤務を拝命した。その後、文官高等試験に合格し、地方官試補として群馬県に赴任し、青森県第二部長、岡山県事務官、長崎県港務部長などを歴任した。 前市長の福井銑吉の病気による辞任に伴い、1914年(大正3年)8月には四日市市長に就任。
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