鍾 毓(しょう いく、1879年10月28日 – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚・外交官。別号は輯五。中華民国時代は奉天派の行政官僚・外交官をつとめた。満洲国では初代黒河省長となっている。 清末に日本へ留学し、1908年(光緒34年/明治41年)に法政大学法政速成科第五班政治部を卒業した。 中華民国では黒龍江省呼蘭県知事、三姓正紅旗佐領を経て、1919年(民国8年)3月13日に外交部特派黒龍江交渉員署理に任命される。同年10月28日、同交渉員に正式に任命された。翌1920年(民国9年)2月5日、呼倫貝爾(ホロンバイル)善後事宜督弁(後に呼倫貝爾交渉員)に任命され、1921年(民国10年)2月17日までつとめた。
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