中原 光信(なかはら みつのぶ、1922年(大正11年) - 2003年(平成15年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉、情報担当将校。終戦時は陸軍独立混成第34旅団所属。クァンガイ陸軍中学教官としてベトナム独立戦争に参加した。ベトナム名はグエン・ミン・ゴック(ベトナム語:Nguyễn Minh Ngọc / 阮明玉)。 愛媛県出身。法政大学に入学後、剣道部主将を務めた。1944年に法大を繰り上げ卒業で陸軍に入隊し、熊本陸軍予備士官学校を経て、日本軍が進駐していたフランス領インドシナ(仏印)のフエに着任する。1945年7月からベトミンと連絡を取り始める。日本敗戦の直後には井川省少佐の「緊急事態が生じたということで、武器庫に施錠せずに至急撤収せよという旅団司令部命令を伝えろ」との指示を受けて保安部隊を司令部に呼び戻し、フエの旧皇宮にあった武器保管所(明号作戦で仏印軍から押収した武器が収蔵されていた)を無人化することでベトミンに武器を提供した。
出典:ウィキペディア「中原光信」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
