芦部 啓太郎(あしべ けいたろう、1896年(明治29年)11月9日 - 1986年(昭和61年)2月25日)は、大正末から昭和期の政治家、教育者。長野県駒ヶ根市長(初代)。長男は芦部信喜(憲法学者)。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、芦部喜一郎、きくよ の四男として生まれた。1919年(大正8年)北海道帝国大学附属水産専門部(現水産学部)卒業後、三菱商事に入社。後に帰郷し、1923年(大正12年)赤穂公民実業学校(現長野県赤穂高等学校)の教諭に転じ、1938年(昭和13年)同校長に就任し1948年(昭和23年)まで在任。1948年(昭和23年)赤穂信用組合(現アルプス中央信用金庫)を設立して専務理事に就任し、1951年(昭和26年)同理事長となり1979年(昭和54年)まで在任した。
出典:ウィキペディア「芦部啓太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
