スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
黒河内 真衣子(くろごうち まいこ、1985年 - )は、日… 黒河内 真衣子(くろごうち まいこ、1985年 - )は、日本のファッションデザイナー。 長野県生まれ。文化服装学院卒業後、三宅一生が設立した三宅デザイン事務所入社。 2010年 黒河内デザイン事務所設立、自身のブランド「mame(マメ)」を立ち上げる。 2017年 自身のブランドであるmameが2018-19年秋冬、パリ・ファッション・ウィークにおいてパリ・コレクション初参加。
佐野 成宏(さの しげひろ、1965年2月18日 - 202… 佐野 成宏(さの しげひろ、1965年2月18日 - 2025年1月10日)は、日本のオペラ歌手。東京音楽大学特任教授。 長野県駒ヶ根市出身。 郷里の駒ヶ根市立赤穂中学校で合唱にはまり(指導:小林雅彦)、合唱好きの少年として育つ。進学先の長野県赤穂高等学校でも合唱を続け、大学では室内混声合唱団に所属(指導:岡本俊久)。 1983年に武蔵野合唱団入団し、指揮者小林研一郎の指導を受け声楽家への道を歩む。東京経済大学卒業後、東京音楽大学専修コースを経て、1988年に東京芸術大学声楽科入学。原田茂生、東敦子、鹿野道男に師事。芸大在学中、日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会『レクイエム』(モーツァルト)のソリスト等、数々の演奏会に出演。
コージィ 城倉(コージィ じょうくら、1963年 - )は、… コージィ 城倉(コージィ じょうくら、1963年 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。男性。長野県出身。初期のペンネームはコージィ♡城倉(『おれはキャプテン』開始時に♡を外す)。漫画原作者としてのペンネームは森高 夕次(もりたか ゆうじ)。 長野県赤穂高等学校卒業後、デザイン系専門学校に2年間通う。卒業後はグラフィックデザイナーとして働くが、勤務先の経営不振に危機感を感じて出版各社へ漫画を持ち込み、25歳でスピリッツ賞の佳作となる。1989年に『男と女のおかしなストーリー』でプロデビュー。初期はヤングサンデー、ヤングマガジンなどの青年誌で執筆していたが、週刊少年サンデー連載の『砂漠の野球部』で異彩を放ち、以後、野球漫画を多く手掛けている。
柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、… 柘植 伊佐夫(つげ いさお、1960年1月27日 - )は、日本のビューティーディレクターおよび人物デザイナー。長野県伊那市出身。 1979年より美容界へ入りヴィダルサスーンの技術を習得する。1982年にモッズヘアへ入社。ヘアメイクアーティストとして活動する。 1990年、「第一回日本ヘアデザイナー大賞」(Japan Hairdressing Award) を受賞、1991年同アワードで「セッションスタイリスト優秀賞」を受賞。1999年、手塚眞監督『白痴』で映画全体のヘアメイク監督を担当する。 2003年、庵野秀明監督『キューティーハニー』の担当よりヘアメイク監督から「ビューティーディレクター」へ改称する。
中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月… 中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月11日 - 2016年(平成28年)11月10日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 現在の駒ヶ根市出身。長野県赤穂高等学校卒業。昭和46年(1971年)駒ヶ根市議会議員に初当選し、のちに議長を務める。昭和63年(1988年)駒ヶ根市長選挙に当選し、5期務めた。在任中は国道153号伊南バイパスの建設に尽力し、平成の大合併では、上伊那郡3町村との「中央アルプス市」構想を推進したが、反対多数の住民の意向を受けて断念した。 その他、長野県市長会長、全国市長会副会長、全国土地改良事業団体連合会副会長などを歴任した。平成10年(1998年)藍綬褒章、平成22年(2010年)旭日中綬章受章。
井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )… 井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。 赤穂高校から1956年に広島カープへ入団。 1958年に一軍初出場も同年で引退。
北原 薫明(きたはら しげとし、1922年 - 2011年4… 北原 薫明(きたはら しげとし、1922年 - 2011年4月23日)は、日本の元警察官。 長野県駒ヶ根市生まれ。 赤穂農商校(現 長野県赤穂高等学校)を卒業後に中国大陸に渡り、陸軍少尉にて終戦を迎えるがシベリアに抑留。 あさま山荘事件当時の長野県警において、警備情報(作戦広報の警察用語)及び公安捜査を担当する警備第2課長を務めており、現地警備本部に幕僚として詰めた。 連合赤軍側からの銃撃を防禦するため、塹壕を掘り土嚢を積んだ軍隊での経験を活かして土嚢を構築したとされるが、佐々淳行の著書においては、実際にこのアイデアを発案したのは、樋口俊長・関東管区警察局公安部長とされる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
川上 良作(かわかみ りょうさく、1906年1月4日 - 不… 川上 良作(かわかみ りょうさく、1906年1月4日 - 不明)は、長野県出身のプロ野球選手。 赤穂実業から八王子実業団を経て1937年に名古屋金鯱軍へ入団。開幕戦となる3月28日の東京巨人軍戦では8番サードでスタメン出場した。 同年の秋季リーグ終了後に退団した。
吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1… 吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1978年6月20日)は農業協同組合運動の推進者、衆議院議員。 長野県上伊那郡飯島村生まれ。赤穂村立公民実業学校(長野県赤穂高等学校)を経て、1932年に明治大学法学部英法学科卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入省し大臣官房吏員、興農合作社中央会科長、中央農業会課長、戦時農業団秘書役などを歴任した。戦時中は満洲に5年間派遣された。 1947年の第23回衆議院議員総選挙を皮切りに長野県第3区から出馬し、断続的に計8回当選した。 衆議院では農林政務次官(第2次鳩山一郎内閣)、農林水産・決算・地方行政の各常任委員長などを歴任し、農業基本法・農業管理法の制定、農協共済制度・農林年金制度の確立などに功績があった。
芦部 啓太郎(あしべ けいたろう、1896年(明治29年)1… 芦部 啓太郎(あしべ けいたろう、1896年(明治29年)11月9日 - 1986年(昭和61年)2月25日)は、大正末から昭和期の政治家、教育者。長野県駒ヶ根市長(初代)。長男は芦部信喜(憲法学者)。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、芦部喜一郎、きくよ の四男として生まれた。1919年(大正8年)北海道帝国大学附属水産専門部(現水産学部)卒業後、三菱商事に入社。後に帰郷し、1923年(大正12年)赤穂公民実業学校(現長野県赤穂高等学校)の教諭に転じ、1938年(昭和13年)同校長に就任し1948年(昭和23年)まで在任。1948年(昭和23年)赤穂信用組合(現アルプス中央信用金庫)を設立して専務理事に就任し、1951年(昭和26年)同理事長となり1979年(昭和54年)まで在任した。