網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日 - 1995年(平成7年)4月2日)は、昭和時代から平成時代の通信技術者。 北海道小樽市出身。1929年(昭和4年)北海道大学工学部を卒業、逓信省工務局に奉職。無線課長、電波局電波課長、電波局長、電波管理局長官を歴任。この間、1936年(昭和11年)ベルリンオリンピック開催に際した日独間無線写真伝送実験、航空無線用超短波全方向式ビーコンの発明考案などに貢献した。 行政面では、1937年(昭和12年)カイロで行われた国際電信電話会議及び国際無線通信会議に政府委員として出席したほか、1948年(昭和23年)メキシコシティの国際短波放送会議にはSCAP代表の技術顧問として赴き、日本に対する国際放送周波数の割り当ての原則の確認を得た。
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