李 肯鍾(イ・グンジョン、朝鮮語: 이긍종、1895年または1897年7月23日 - 1951年1月24日)は、最初の朝鮮人司書であり、日本統治時代の朝鮮と大韓民国の実業家、ジャーナリスト、政治家。第2代韓国国会議員(在任中に死去)。 号は心崗(シムガン、심강)、日本名は宮村 薫。韓国における図書館の草分けである李範昇はおじ。 忠清南道燕岐郡(現・世宗特別自治市)出身。1910年に水下洞公立普通学校(現・ソウル清渓初等学校)、1914年に京城高等普通学校本科(現・京畿高等学校)、1917年に京城専修学校(現・ソウル大学校法科大学)卒。1917年5月から10月までは大邱地方法院金泉支庁書記兼通訳生として働き、1918年から1920年までは明治大学で法律を勉強した。
出典:ウィキペディア「李肯鍾」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
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