小川 關治郎(おがわ せきじろう、1875年〈明治8年〉 - 1966年〈昭和41年〉)は、日本の陸軍法務官。甘粕事件や二・二六事件で軍法会議に携わった人物として知られる。 1875年(明治8年)、愛知県海東郡木折村(現在の愛知県あま市)に生まれた。20歳頃までは同地にて過ごしたものの幼少の頃より向学心が強く、中学卒業後は一度就職したが1898年(明治31年)に明治法律学校(現在の明治大学)に入学している。 大学では座布団がすり切れるほどに国史・法律の勉強を重ねたと言われている。卒業年次は不詳ながら、1904年(明治37年)12月には司法官試補を命ぜられて、当時の『官報』では、横浜地方裁判所及び同検事局並びに横浜区裁判所及び同検事局において「事務修習スヘシ」と記されている。
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