平島 良一(ひらしま りょういち、1891年(明治24年)6月29日 - 1956年(昭和31年)11月17日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大阪府日根郡北信達村、のち泉南郡信達村→信達町、現在の泉南市で平島幸吉の息子として生まれる。1915年(大正4年)明治大学法律科を卒業した。 大阪木津川セメント (株) に入社し用度課長を務めた。在勤中、雨の日には出勤せず、会社もしかたなく公認した。その後、会計士の業務に従事。鉱業、農業に転業し、1943年(昭和18年)コバルト採掘鉱業に関係した。その他、合資会社信達織布工場理事、平島紡績取締役、同会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大阪府第2区から立候補したが落選。
出典:ウィキペディア「平島良一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
