色田 周次(しきだ しゅうじ、生没年不詳)は、明治期から大正期の日本の実業家、教育者。高田商会台北支店長や、旭電鍍合資会社代表社員を務めたほか、立教学校(立教大学の前身校の一つ)の最初の日本人教授の一人として指導を行った。 1874年(明治7年)2月に東京・築地に開設された立教学校(立教大学の前身校の一つ)で学ぶ。 1876年(明治9年)4月、貫元介とともに、立教学校の最初の日本人教員となる。同年6月の年度報告によると、当時の教授として、クレメント・T・ブランシェ(Clement T. Blanchet)が主任を務め、チャニング・ウィリアムズ主教とウィリアム・クーパー(William B. Cooper)が語学、聖書、地理歴史などを英語で教えたほか、日本人助教として色田と貫元介が名を連ねた。
出典:ウィキペディア「色田周次」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
