伊東 知也(いとう ともや、1873年(明治6年)4月10日 - 1921年(大正10年)11月26日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(3期)。号は明、士徳、懐亭、鳳南、別名に正基。 酒田本町(現酒田市)の医師伊東清基の長男として生まれる。上京し、東京専門学校で政治学を修め、1896年(明治29年)卒業し台湾総督府旧慣調査会嘱託となる。はじめ佐田白茅、須田古龍について漢学を学んだが、のち札幌の露清学校に転じ中国語、ロシア語を習得し、1898年(明治31年)から東部シベリア、満州、福建、広東などを巡遊し対外問題の処理に尽瘁した。中国、朝鮮には十数回に渡り赴き、1911年(明治44年)の辛亥革命の折には孫文らと交わり「支那浪人」と称された。
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