稲毛 金七(いなげ きんしち、1887年(明治20年)6月5日 - 1946年(昭和21年)3月14日)は、日本の教育哲学者。早稲田大学教授、同高等学院教授、同評議員。号は詛風。 山形県東置賜郡漆山村(現在の南陽市)出身。郷里の高等小学校を卒業後、代用教員、準教員、小学校正教員を務めた。1906年(明治39年)、上京して早稲田大学文学部哲学科に入学し、1907年(明治40年)に修身科の中等教員検定に、1911年(明治44年)に教育科の中等教員検定に合格した。1912年(明治45年)に早稲田大学を卒業した後は中央公論社、内外教育評論社に関係した後は、雑誌「教育実験界」の主筆となったが、後に自己経営に移し「創造」と改題した。
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