13代 稲葉 市郎右衛門(いなば いちろうえもん、1882年〈明治15年〉12月31日 - 1954年〈昭和29年〉8月2日)は、京都府熊野郡久美浜村(現・京都府京丹後市)出身の実業家・銀行家・政治家。京都府会議長、久美浜町長。稲葉市郎右衛門景介(いなば いちろうえもん けいすけ)とも呼ばれる。国鉄峰豊線(現・京都丹後鉄道宮津線)の開業に際して多額の私財を投じたことで知られる。 1882年(明治15年)12月31日、京都府熊野郡久美浜村(現・京丹後市)に生まれた。幼名は景介。 父は12代稲葉市郎右衛門(稲葉市郎右衛門英裕)、母はきせ。12代稲葉市郎右衛門は前妻のきせとの間に一男三女、後妻のとしとの間に四女を儲けており、景介は長男だった。
出典:ウィキペディア「稲葉市郎右衛門 (13代目)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
