河野 金昇(こうの きんしょう、1910年2月1日 - 1958年3月29日)は、日本の政治家、愛知県選出の衆議院議員。海部俊樹の師匠として知られている。 東京都出身。幼少時に足を負傷し、治療が不十分であったために障害が残った。金昇の親は、障害者となった息子を不憫に思い、兄弟の中で金昇だけを大学に進学させてあげたという。1933年(昭和8年)早稲田大学専門部を卒業する。その後、政治を志し、大学の先輩に当たる中野正剛の門下となり、中野が主宰する東方会に入る。1942年(昭和17年)の総選挙(いわゆる翼賛選挙)において地元愛知県から東方会(翼協非推薦)で立候補するが、落選した。1943年(昭和18年)中野が東條英機内閣を「戦時宰相論」で批判すると、10月に東方会の同志共々、特高に検挙され、中野は自刃するという悲運に見舞われた。
出典:ウィキペディア「河野金昇」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
