内藤 久一郎(ないとう きゅういちろう、1905年(明治38年)3月12日 - 1989年(平成元年)10月20日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、新潟県刈羽郡石地町長。 新潟県刈羽郡石地町(朝日町、西山町を経て現柏崎市西山町石地)で、素封家・内藤鷲郎(内藤久寛養子)の長男として生まれる。1930年(昭和5年)早稲田大学経済科を卒業した。 1931年(昭和6年)9月、新潟県会議員に当選し、同参事会員も務めた。1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に新潟県第3区から立憲民政党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。その他、石地町長、新潟県町村長会副会長、刈羽郡町村長会長、新潟県大陸開拓協会副会長、大政翼賛会刈羽郡支部長、柏崎税務署管内家屋賃貸価格調査委員、青少年団長、帝国在郷軍人会石地分会長、石地町農会長などを務めた。
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