中山 英一(なかやま えいいち、1926年3月26日 - 2010年7月8日)は長野県出身の部落解放運動家。 長野県南佐久郡栄村(現・佐久穂町)の被差別部落に生まれる。父は小作農兼ぞうり売りだった。生家は地元の部落40戸の中で立場も経済力もナンバー2だったという。 小学校に入って間もなく、被差別民としての出自を知る。郷里の小学校を出てから東京の上級校に入ったが、当時は部落出身と知られることを恐れ、当時の苗字(被差別部落に固有の三文字の稀姓)や郷里の住所をたびたび偽っていた。「私は様々な名字を使った。『近衛』と『徳川』は一回だけ使ったが、比較的多用したのは『井出』と『篠原』、これは村の医者の名字で、次いで『倉沢』と『阿部』、これは村長の名字で、三番目は『木内』、『中山』、これは地主の名字であった。
出典:ウィキペディア「中山英一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
