山口 麻太郎(やまぐち あさたろう、1891年(明治24年)8月27日 - 1987年(昭和62年)12月26日)は、大正から昭和期に活動した日本の民俗学者、壱岐島の郷土史家。丘 草平(おか そうへい)名義を用いることもあった。 長崎県石田郡武生水村(後に壱岐郡郷ノ浦町を経て、壱岐市)里触で、父・山口中一郎と母・リソの間の長男として生まれた。1906年に、武生水村の壱岐郡盈科尋常小学校を卒業した。 その後、壱岐を離れ、補修学校に学ぶが中退し、1907年に長崎通信伝習生養成所に入って、1909年に卒業した。郷ノ浦郵便局に務め、後には長崎郵便局に転じた。1911年に、台湾に渡り、台湾総督府民政部通信局臨時雇となった後、1912年10月に判任官試験に合格して任官したが、1914年2月に依願免官して、東京府に移り、壱岐出身の弁護士であった長峰安三郎の経営する市町村雑誌社に入った。
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