高橋 白山(たかはし はくざん、天保7年12月(1837年) - 明治37年(1904年)3月10日)は幕末の漢学者。明治時代の教育者。諱は利貞。字は子和。通称は敬十郎。信州教育の開拓者と呼ばれる。 信濃国伊那郡高遠城下に高遠藩儒の高橋利常(確斎)の長男として生まれる。藩校進徳館で中村元起に学び、16歳で助教、文久3年(1863年)には師範代となり藩主の侍講も兼帯した。好学にして博識、在任の13年間で進徳館の蔵書3万冊をほとんど読みつくしたという。文政年間に江戸に出て藤森天山に入門、鷲津毅堂、大沼枕山らと交流した。 明治維新の際には白山の思想は危険視され、長尾無墨と共に藩を追放される。その後、幕府領の手良村野口(現伊那市)で開塾し、医者も兼ねた。
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