山本 讃七郎(やまもと さんしちろう、安政2年7月12日(1855年8月24日) - 1943年(昭和18年)4月5日)は明治時代の写真師。岡山県井原市出身。維新後上京して林董宅に住み、中島待乳に写真術を学び、新橋で開業後、北京王府井に写真館を構え、西太后等要人や北京内外の風景を写真に残した。 安政2年(1855年)7月12日備中国後月郡梶江村(岡山県井原市芳井町梶江)に生まれた。1868年(明治元年)頃阪谷朗廬と親戚の医者の息子(山鳴弘斎三男清三郎か坂田警軒兄待園)が大坂で学んだ湿板写真を披露するのを見て、初めて写真に触れた。 明治4年(1871年)兄讃太郎を頼って上京し、1874年(明治7年)8月叔父梅園の師林洞海の子林董の書生となった。
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