藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
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