関口 義慶二(せきぐち ぎけいじ、1882年〈明治15年〉1月4日 - 1945年〈昭和20年〉2月3日)は、大正から昭和時代前期の政治家。群馬県桐生市長。 関口玉吉の長男として群馬県邑楽郡高島村(現・邑楽町)に生まれる。1903年(明治36年)3月、群馬県師範学校を卒業後、教員となり、1907年(明治40年)3月、群馬県川場小学校の校長に就任。 ついで、官界に転じ、同県北甘楽郡視学、群馬県属、知事官房主事、碓氷郡長、山田郡長を経て、1925年(大正14年)8月12日に桐生市長に就任。1933年(昭和8年)に桐生火葬場事件の責任を取って一旦辞任したものの、市議会に推されて40日後に再就任し、1940年(昭和15年)5月まで市長を務めた。
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