赤田 瑳一(あかた さいち、1866年5月20日〈慶応2年4月6日〉 - 1935年〈昭和10年〉8月31日)は、日本の政治家、地家主。衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。大阪市会議員。族籍は大阪府平民。 摂津国東成郡天王寺村(現・大阪府大阪市)で代々農業を営む家に生まれる。赤田太兵衛の長男。2歳で父を亡くし、母の手で育てられた。 その後、河内国高安郡(現・大阪府八尾市)の叔父の元に移り17歳まで過ごした。八尾町の田中祐篤の塾生となり国史・漢籍を学ぶ。のち塾を脱し伊予の松山に赴き同地の豫章館に入り、国史・漢籍を修める。病気となり帰阪して療養の傍ら家政を整理する。 天王寺村の戸長・橋本善右衛門が赤田を迎え、役場用掛とする。
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