吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年(嘉永2年9月)- 1897年(明治30年)4月18日)は、明治時代の政治家。神職。衆議院議員(2期)。別名・要男、要人。 高橋権兵衛の四男として、隠岐国周吉郡矢尾村(島根県周吉郡西郷港町、中町、西郷町を経て現隠岐の島町)に生まれる。幼くして父母を亡くし、12歳の時に同郡西町(西郷町を経て現隠岐の島町)の吉岡家の養子となり、13歳にして家督を相続した。その後、15歳にして養父を失う。医師の野津徹斎や田中鼎助につき和漢学を修めた。1868年(慶応4年)隠岐騒動で自治政府の警護頭取を務めた。その後、戊辰戦争に従軍した。1871年(明治4年)水祖神社神官となり、八尾小学校訓導、神道教導職、郡書記、郡学務委員、戸長を歴任した。
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