鴻 雪爪(おおとり せっそう、1814年2月20日(文化11年1月1日) - 1904年(明治37年)6月18日)は、幕末・明治期の宗教家である。備後国出身であり、曹洞宗の僧侶として全昌寺・孝顕寺・清凉寺住職を歴任した。明治期には仏教の改革運動に取り組み、仏僧の肉食妻帯を認めさせた。その後、還俗し神職となった。大教院長。御嶽教2代管長。禅僧としては鉄面清拙とも名乗り、ほかに江湖翁の号も用いた。 文化11年1月1日(1814年2月20日)、備後国因島に誕生。俗姓は宮地。父親は宮地長光(与三兵衛)、母親は木原氏の某。幼名は不明。雪爪は次男であり、兄に松之助、弟に与三兵衛秀明がいた。鴻が自ら記すところによれば、宮地氏は醍醐天皇の皇子である源高明に系譜を遡ることができる家柄であり、氏は保安年間に備中宮地荘を賜ったことに由来するという。
出典:ウィキペディア「鴻雪爪」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
