君塚 省三(きみづか / きみつか せいぞう、1856年5月26日(安政3年4月23日)- 1906年(明治39年)5月20日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、千葉県会議長、千葉県夷隅郡総野村長。幼名・道太郎。 上総国夷隅郡芳賀村(千葉県夷隅郡芳賀村、総野村芳賀、勝浦町を経て現勝浦市芳賀)で、農業・君塚勘解由左衛門芳高(のち傳に改名)の長男として生まれた。1874年(明治7年)自ら省三に改名。大喜多の私塾・大泉堂で学び、その後、大多喜藩校・明善校で漢学を修めた。 1875年(明治8年)第6大区第1小区副戸長に就任した。1879年(明治12年)以文会の結成に参画し、1881年(明治14年)自由党が結党されるとこれに加わった。
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