渋江 公寧(澁江、しぶえ きみやす、1858年(安政5年11月)- 1896年(明治29年)11月30日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。字・子静、号・龍伏。 肥後国菊池郡、のちの熊本県菊池郡隈府町(菊池町を経て現菊池市)で、儒学者渋江公木の息子として生まれた。父から学び、1876年(明治9年)熊本県師範学校を卒業。漢学塾・遜志堂を開き子弟の教育を行った。 政界では熊本県会議員に就任。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(熊本県第3区、国民協会)で当選し、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1896年11月に死去した。
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