後藤 正志(ごとう まさし、1896年〈明治29年〉3月12日 - 1929年〈昭和4年〉7月4日)は大分県出身の技師であり飛行家。1929年にアメリカ西海岸から欧州を経て日本まで、三大陸横断飛行を計画したが、ロッキー山脈越えに失敗し墜落死した。 大分県西国東郡田原村下沓掛(現杵築市)で後藤武利の長男として生まれ、幼少期に母を亡くす。父の意向もあり、南部高等小学校を出ると教員養成の私立学校である習説校で学んだ。正志は数学に強く、機械類を好んだという。父は病を得ながらも白鬚田原神社の前に日用品店を開いたが経営は上手くいかず、金銭的に厳しい状況が続いた。 習説校を卒業した正志は立石にある馬上金山の機械部に入る。
出典:ウィキペディア「後藤正志」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
