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橋岡忠三郎

はしおか ちゅうざぶろう
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橋岡 忠三郎(はしおか ちゅうざぶろう、1832年1月17日(天保2年12月15日) - 1910年(明治43年)3月15日)は観世流シテ方の能役者にして橋岡家六世。名は雅茂、號は雅雪(がせつ)。岐阜県の出身。 美濃国近ノ島村で医師・藤井平兵衛(元徳)の二男として1831年(天保2年12月15日)に生まれ、20歳頃に能役者・橋岡泰次郎の養子となる。江戸時代の能役者は若年寄り配下として幕府の保護を受けていたが、維新後はその地位が失われ職を転じる者多数。忠三郎も代書屋をして生計を立てた。 観世清孝(1837-1888年)の時代、宗家困窮のため「観世流本面」が海外に流出しかけたところ、忠三郎が神戸で買い留め流派の面目を保つ。

出典:ウィキペディア「橋岡忠三郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋