南条 文五郎(南條、なんじょう ぶんごろう、1842年11月16日(天保13年10月14日)- 1905年(明治38年)4月4日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 陸奥国栗原郡太田村(宮城県栗原郡太沢村、玉沢村、築館町字太田を経て現栗原市築館太田)で、肝煎(庄屋)・南条彦作(親章)の二男として生まれた。普通学、武道を修めた。農業を営む。 1871年(明治4年)太田村副戸長に就任。1880年(明治13年)5月に宮城県会議員に選出され、1902年(明治35年)8月15日の辞職まで8期在任し、常置委員、参事会員、地方衛生会委員、徴兵参事員なども務めた。その他、太沢村会議員、玉沢村会議員、栗原郡会議員にも在任した。
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