石川 七財(いしかわ しちざい)は日本の武士、実業家。初名は七左衛門、号は花渓。 土佐藩士の石川唯七(ただしち)の子として土佐国土佐郡小高坂村(現・高知県高知市)に生まれる。幼名及び初名は七左衛門。 父の唯七は馬丁を務めており、足軽のまま死去。それに継いで七財も足軽であったが土佐藩士で参政の吉田東洋に仕え、下横目役(目付の補佐役)となる。 1870年(明治3年)に九十九商会(後の三菱商会)の岩崎弥太郎の偵察を願われる。その際に弥太郎の人柄に憧れ部下となる。後に幹部となり川田小一郎らと共に活動。 1877年(明治10年)の西南戦争では軍事輸送を務めた。その後コレラによって倒れ死去。墓は谷中霊園。 1828年5月21日(文政11年4月8日)に土佐藩士・石川唯七の子として土佐国土佐郡小高坂村(現・高知県高知市)に生まれる。
出典:ウィキペディア「石川七財」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
